人の記憶は時が経つほどに儚いものです。
それでも、何かしらの刺激をもとにその時の情景や感情が呼び起こされる体験を「メンタルタイムトラベル(心的時間旅行)」というそう。
だれかの物語や時間をたどって体験する、旅の記憶。
想いをはせたり、想像したり。心はどこへだっていけるはずです。
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INDEX
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.0】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.1】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.2】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.3】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.4】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.5】
【27歳、台湾。はじめてのひとり旅 編 Vol.6】(順次公開)
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■台湾人の台所&百貨店、夜市へ
外食文化が根強い台湾人にとって、屋台が並ぶ夜市は暮らしに欠かせない存在。台北市内だけでも大小さまざま、特徴もそれぞれ個性があるなかで私が訪れたのは、台北市最南端の「景美夜市(ジンメイイエスー/けいびよいち)」です。市街地から離れた地方市場ですが味はとびきり良いと聞き、時間とお金をかけても行かねばと心に決めていました。
商圏(=市場)とあるように市場と夜市を兼ねる商店街のよう。アーケードや屋台の屋根が折り重なっているおかげで雨の日もほとんど傘いらずな造りです。交通規制がされていないので車道側に並ぶお店ではすぐ隣をバイクや車が通っていました。
商店街は十字路や小路が枝分かれする複雑な道なり。時折漂ってくる八角や臭豆腐(チョウドウフ/しゅうどうふ/納豆的存在の食べ物)の独特の香りをくぐり抜けて進むと、中華鍋とお玉が当たるカンカン!という音があちこちから聞こえてきます。きびきびと働きつつも威勢よくおしゃべりを続けるおじちゃんやおねえさん。その調理場から立ち昇る湯気の先では、美味しいしあわせがゆらゆらと見えたりして。
時計やスマホケース、アクセサリーや洋服、下着などの日用品店も多く、縁日みたいなレトロ遊戯場にサイバーパンク(!)なお寺まで、なんでも揃う雑多さがローカルならではです。
■B級グルメの宝庫
香ばしい匂いの在りかを探し、小さな屋台に目をやると「山猪肉串、山猪肉香腸」の文字。察するに猪肉の串とソーセージのお店のよう。「不好吃免錢」って、美味しくなかったら返金しますよって意味だろうか。
店員はお兄さんひとり。油をひく、串の下準備、1本ずつ見極めて焼く、合間の鉄板掃除、ベストな焼き上がりで袋に詰める、お会計をする、そして休憩を兼ねた水分補給。その独特なリズムと手さばきは只者ではないオーラです。秩序に混じる狂気じみたものに私のグルメレーダーがピッと発動し、一軒目の食べ歩きはここに決めました。
10~15分ほど並び待ってようやく焼きあがった香腸。パリッと香ばしい皮、じゅっとはじける肉汁を味わった途端「ウ、ウワー!大正義では?!でもあっまい!」と思考が消し飛んでしまいました。滴る旨味は豚肉との違いがわからないほどで、何よりスパイスの効いた甘ダレというかけあわせが斬新でした。それ以来、山猪肉串/香腸という文字を見かける度に「お味は如何に……」と試していますが、このお店を超える1本にまだ出会えていません。
焼き小籠包を扱う「景美上海生煎包(ジンメイシャンハイシェンジェンバオ)」はこの市場で名物店のよう。行列が途切れないのはさることながら、ビニール袋を手に提げたお母さんや子どもがふらりと現れては生煎包を受け取って帰っていました。きっと今日の夜食になるのだろうな。家庭的なヒトコマを感じました。こんなおつかい、良いよね。
延々と食べ続けられる魅惑の水餃子、韭菜猪肉水餃(ジォウツァイヂゥーロォゥスイジャオ)なるものを知ってしまいました。茹で上がった皮は薄めのくせしてもちもち(最高です)。しゃきしゃきのニラ入り餡なんて、皮越しに透けちゃってセクシーなのです。
お店の名前は「楊家手工水餃」=楊さんの手作り水餃子です。ストレートでいい名前だと思いませんか。水餃子、食べたい。手作りなのも気になる……でももう満席になりそうだし人の多さに気後れしちゃうな。そんな物欲しそうな視線に気づいたのか、焼き場に立つママが向けてくれた微笑み。瞬時に迷いを捨て、スッと席についた私のちょろさたるや。
艶肌なまんまるフォルムでぴっちりと整列し、今か今かと出番を待つ楊さんの水餃子たち。
この見目麗しい姿をこさえるのはご主人らしき男性で、テーブルの隅っこでひたすら包み続けていました。お店の美味しさを支えているのはこの作りたての鮮度なんだと思います。ご主人が時々眠そうに欠伸する姿もまた良いのです。
冷やし固めた豆乳に甘いシロップやトッピングをかけあわせた豆花(トウファ)は、老若男女問わず親しまれている国民的おやつ。この「景美豆花(ジンメイドウファ)」というお店は、タッパーやバケツに入っているトッピング全てがみずみずしく、輝きが段違いでした。
降り出した雨の寒さから暖まるべく、温かい豆花を指さしでオーダー。かき氷乗せができるそうですが今回は断念。温かい×冷たいのひやあつ豆花は珍しいように思います。
トッピングは花生(煮込ピーナッツ)と芋頭(タロイモ)、仙草凍(仙草ゼリー)。深めのお椀にたっぷり注がれた豆花の食感は杏仁豆腐に似ているけれど、ヘルシーで素朴な味。さっぱりした甘さのあたたかいシロップも体中に染みわたりました。
■日常が根付く景美夜市
夜のはじめも終わりを迎えようとしていました。更けこむ前に宿泊先に戻ろう、次のお店で締めようかしらとふらふらしていると、衣類や雑貨店が多く集まる十字路でぽつんと開くお店が目に留まりました。
ショーウインドウ沿いに組まれたテーブルと小さな食品ケース、竪樋に引っかけられたメニュー表は傾いています。決して華美でない景美夜市の露店のなかでもひときわ控えめな佇まいはうっかり見逃してしまいそうです。数十分前にも往来した小路でしたがこの時初めて気づいたのでした。
なんだか急に気になってしまい、最後の食べ歩きはここで頂くことにしました。字面の雰囲気に惹かれ、陽春麺(ヤンチュンミェン)の湯麺をオーダー。ざぶんと放り込まれた麺と野菜が寸胴のなかで踊るなか、お兄さんは粛々と仕込みや調理に集中しています。店員同士でのお喋りが当たり前の光景ゆえに、この対照的な働きぶりが印象に残りました。
無言で差し出された陽春麺は、粘度のありそうな黄土色スープに浸かる麺、気持ちばかりのモヤシとニラが散見しています(名前から想像する姿とまったく違う!)。ここにきてはじめての、未知の食べ物。まさか締めで緊張が走るなんて。同時にでてきた変な高揚感を胸に、スープを口にします。見た目を裏切るあっさり味。醤油の薄味加減が腹八分の胃に丁度良く納まってくれました。ベスト・オブ・ベーシック麺。ちいさな成功体験を経て、またひとつレベルアップした気持ちになりました。
いつかの懐かしい記憶が蘇るような、穏やかな手触りのある景美市場。活気もあるのだけど日本の祭りのような呼び込みは一切なくて、ただただそこで続く暮らしがありました。
これまではどこか冒険の物語の中にでも入りこんだ感覚でいましたが、景美夜市を訪れた私はひとりのよそ者だったのかもしれません。九份の海を眺めていた時に感じた、ここじゃない場所にきたという物語モードからは180度切り替わりました。私が望んだ“どこか遠いところ”は私の知らない現実として誰かが生きて暮らしているんだ。そんなことに気づかされたのでした。
どこにも店名が見当たらず、勝手にだいこんのお店と呼んでいた陽春麺の露店。数年後に再訪した時には定休日だったのかもう閉じてしまったのか、跡形もなくなっていました。
(つづく)