福岡県北九州市のTOTOミュージアムで開かれている巡回展「堀部安嗣の建築展――懐かしい未来へ向かって」。
その関連イベントとして開催された、堀部さんご本人による講演会に行ってきました。
今日はその中から、堀部さんのお話や感じたことなどをお伝えできたらと思います。
堀部安嗣さんはこれまで20余年にわたって、住宅を見つめ続けてきた建築家です。
処女作である「南の家」にはじまり、この町で一番古く感じると言わしめた新築住宅の「屋久島の家Ⅱ」、ベーシックハウスを提案する「fca」の取り組みなど。
近年では、せとうちクルーズが運営する客船「ガンツウ guntû」を手がけ、瀬戸内に浮かぶ宿として多くの注目を集めました。
堀部さんの作品は、多角形などの幾何学をモチーフに、自然や風土、文化をとりいれた端正なデザインが特徴のように思います。
素材の使い方も繊細で、普遍的である造形と懐かしい温度感とが相成る空間。
ずっと昔からあるような、風景に馴染む雰囲気を纏っています。
そんな堀部さんの ” 自分に染みついている建築 ” のルーツは生まれ故郷の横浜市鶴見区。
鶴見駅は”取り残されたような場所”にあったそうですが、祖父の手のぬくもりや一言一言の会話といった断片的な記憶がのこる地。
近所の總持寺で遊んで育った空気や気配、時間が財産であり、それらがそのまま自身の建築に反映されているのだそうです。
建築を考えるとき、切っても切れない要素のひとつが風景です。
堀部さんは「建築は道に支配されている」と言われていたのですが、道こそが風景や街をつくる基盤です。
過ごした記憶や空気はこの道を手がかりに継承され、やがて思い出として蘇る鍵になっていくのだそうです。
ここで、あるひとつの道路写真が掲示されました。
大きく切り開かれた道路は車道がメインに作られ、たくさんの電柱や全国チェーンのお店、主張の強い看板が立ち並び、一見賑やかですがどこか画一的で無機質さも感じ取れました。
地方へ行くとよく見るような主要道路の風景です。
新しいものが次々つくられ、古いものはどんどん壊され、全てがないまぜになりながらアップデートされていくさみしさ。
その感覚は、個々の思い出の手がかりがないものにされ、自分がどこから来たのかさえもわからなくなる、身体の一部をもがれたようだと堀部さんは表現していました。
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戦後すぐの住宅建築は、住宅需要の増加によって住む箱としての基本的な形が追求されてきました。
そして時代がバブルに突入すると、本質からかけ離れた華美な建築が良いという価値観へと変化します。
ですがバブル崩壊を迎え、経済の立て直しが最優先されていく代償として、あらゆるものが使い捨てられるようになりました。
それこそが堀部さんが警鐘を鳴らす「記憶や思い出がなくなること」のはじまり。
堀部さんの言葉を借りると、”幸せは変動する”のだそうです。
変動する幸せはお金や地位であり、変動しない幸せは記憶。
これからの建築は、記憶の幸せを担うことをもっと考える必要がありそうです。
人口が減っているのに人工物は増え、山も切り開かれているという現実。
このまま加速していくと街はゴーストタウンになると安易に想像できる未来。
そう憂う堀部さんでしたが、今ならまだ引き返せるのではないかとも言われていました。
それは現実を丁寧に再構築して具現化するという意味での”あるものを活かす”建築。
堀部さんは、カンボジアのとある家族の暮らしを例にあげられていました。
決して上質とは言えない住まいや調度品のなかで、満面の笑みをむける子どもたちが気づかせてくれたのは「心の豊かさと幸福度」だったそう。
これはデンマークに根付く、ヒュッゲという価値観も大事なヒントになるようです。
今あるものに感謝する、自然を身近に感じるなど、暮らしと意識にまつわる10項目ほどの視点です。
身近すぎて価値に気づかない存在。
当たり前のようにある存在にこそ、私たちは恵まれていると意識する暮らし。
そうした視座が豊かな未来をつくる礎になるとお話しされていました。
思い返せばわたしも、幼い頃から豊かな経験を積み重ねてきたことに気づきました。
仰向けになった畳の部屋で耳を貫くセミの鳴き声、布団の外から流れ込む冬の朝の空気。
そのほとんどは、祖母の家での原体験でした。
古人の人たちこそ、自然に敏感だったのだと思いますが、そうした感覚は今を生きる人々も忘れていないはずです。
地元に帰る時に毎回思うのは、祖母の家に寄りたいなという願い。
「かっこいい」や「機能的」にとらわれず、それぞれのルーツに立ち返る視座で、豊かな自然と共に生活する場所、“帰りたい家”を作れたらと思うのでした。